『霊枢』から読む経絡;経脈篇 ⓪序文

【本稿は中医学を学ぶ方向けの内容です】

なぜ今あらためて『霊枢』経脈篇を読むのか

その中の『霊枢』に記されている経絡論を原文に立ち返りながら整理し、現代臨床にどう読み替えられるかを備忘的にまとめていく。解釈には諸家の注を参照しつつ、あくまで臨床家の視点から再考することを目的とする。

『黄帝内経』は鍼灸医学の根幹をなす古典である。
『霊枢』は経絡・鍼刺・診察に関する理論を体系的に記した書として位置づけられる。
その中で、経脈篇は、十二経脈の走行、生理、病候、治療原則にまで踏み込んでおり、後世の経絡学説の基盤となった章である。
しかし現代臨床においては、経絡が抽象概念として扱われたり、単なるラインとして理解されることも少なくない。

ここでは原文に立ち返り、語句の精査と諸家の解釈を踏まえながら、経脈がどのような機能体系として描かれているのかを再検討し、日常臨床にどう接続できるかを探っていきたい。

原文

雷公問於黄帝曰.禁脉之言.凡刺之理.經脉爲始.營其所行.制其度量.内次五藏.外別六府.
願盡聞其道.
黄帝曰.人始生.先成精.精成而腦髓生.骨爲幹.脉爲營.筋爲剛.肉爲墻.皮膚堅而毛髮長.
穀入于胃.脉道以通.血氣乃行.
雷公曰.願卒聞經脉之始生.
黄帝曰.經脉者.所以能決死生.處百病.調虚實.不可不通.

現代語訳

雷公が黄帝に問うた。
「経脈についての禁戒の教え、また鍼刺の原理は、すべて経脈を根本とするものです。
経脈は営気の巡るところを司り、その分量と度合いを制御し、
内では五臓に順序立てて連なり、外では六腑をそれぞれ分別しています。
どうか、その道理をすべてお聞かせください。」

黄帝は答えた。
「人が生まれるとき、まず精が形成される。
精が成ると、脳と髄が生じ、
骨は身体の幹となり、
脈はそれを巡って養い、
筋は剛強さを与え、
肉はそれを囲む壁となり、
皮膚は堅く締まり、毛髪は生え伸びる。

穀物が胃に入ると、脈の通路が開かれ、
血と気はそこで初めて巡行するのである。」

雷公が言った。
「どうか、経脈がどのようにして生じるのか、その始まりを詳しくお聞かせください。」

黄帝は言った。
「経脈とは、生死を決し、あらゆる病を司り、虚実を調えるものである。
ゆえに、これを通暁せずしてはならない。」

臨床意義 -私的解釈-

『霊枢・経脈篇』のこの一段は、鍼灸臨床において何を拠り所にすべきかをはっきりと示している。
「鍼をする以上、まず見なければならないのは病名でも理屈でもなく、”経脈が今どうなっているか”という一点である」というものである。

経脈は、気血が巡る通り道であると同時に、身体の状態そのものを映し出す場でもある。
どこが滞り、どこが虚し、どこに余りがあるのかは、経脈の現れ方として必ず身体のどこかに出てくる。
痛みや違和感が現れる場所、広がり方、左右差や時間帯の変化――それらはすべて、経脈が発しているサインである。
臨床では、まずそれを丁寧に読むことが求められる。

経脈は内では五臓とつながり、外では筋肉や関節、皮膚へと広がっている。
そのため、目の前の症状だけを切り取って考えても、全体像は見えてこない。
局所に現れた異常は、経脈を通して内側の状態と連動しており、そこに目を向けることで、はじめて治療の筋道が立ってくる。

また本文が語るように、身体はまず精を基として形づくられ、その上に気血の働きが重なっていく。
つまり、同じ治療をしても反応が違うのは、その人の持つ力、いわば「土台」の違いによるところが大きい。
特に、慢性の病や長引く不調では、経脈だけでなく、その人の精や体力をいかに消耗させずに支えるかという視点が欠かせない。

さらに、食べ物が胃に入り、そこから気血が生まれて経脈を巡るという考え方は、臨床ではとても現実的である。
食欲があり、胃が動いている人は、鍼に対する反応もはっきりしている。
逆に、胃気が弱っていると、どれほど丁寧に刺しても変化が乏しいことがある。
経脈は、胃気があってこそ動き出すのである。

そして「経脈は生死を決する」という言葉は、決して大げさな表現ではない。
鍼をしたとき、身体がきちんと応えてくるかどうか、気が動いた感触があるかどうか。
そこには、その人がまだ回復へ向かう力を保っているかどうかが現れる。
経脈が応じている限り、治療の余地は残されている。

この一段が伝えているのは、難しい理論よりも、経脈という生きた反応を信頼しなさいという臨床家への姿勢である。
経脈をよく観察し、無理をせず、それに従って手を入れる。
その積み重ねこそが、鍼灸治療の基本なのだと語られている。と思う。

 


こちらは、「青船アカデミア」と称した中医学を学ぶ上での私的備忘録です。
鍼灸臨床に必要となる知識を学びなおすためのコンテンツとしてまとめています。
主に、古典を臨床の視点から読み直し、日々の治療にどう接続できるかを検討することを目的としています。
原文が示す意図や難解な表現を手がかりに、必要な知識をあらためて整理していきたいと思います。

「青船(あおふね)」とは、にじいろ鍼灸院のある神奈川県鎌倉市の「大船(おおふな)」の、かつての名称とされます。
古くは海に面した湾で大型船が出入りしていたことに由来する説や、近隣寺院の山号にちなむといった説が伝えられています。
たくさんの中医学を学ぶ仲間が集まり、つながっていきますように、という願いを込めました。

みなさまの日々の臨床を振り返る際の一助となれば幸いです。